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ソースカツ丼
石炭の「炭」、鉄鋼・鉄道の「鉄」、港湾の「港」から名付けられた「炭鉄港」は、今も地域に残る多くの産業遺産・遺構が日本遺産に登録され、今年で5周年を迎えた。この炭鉄港を支えた主役は、各地で働いた労働者とその家族。彼らの栄養源となった食文化は、今も「炭鉄港めし」として各地で親しまれている。本紙では各地の代表的な「炭鉄港めし」をシリーズ(隔週)で紹介する。 【制作協力・炭鉄港推進協議会】
1887年(明治20年)に上砂川炭田が発見され、その後、明治32年に福井県鶉村から来た開拓者・山内甚之助氏他8名によって、この地に鍬が入れられたのが発祥の上砂川。1914年(大正3年)には石炭社である三井鉱山株式会社が起業し、以来炭鉱の町として発展し、49年(昭和24年)には当時の砂川町、歌志内町の一部を分割して「上砂川町」が誕生した。その後、出炭量も増加し、52年(昭和27年)には最大人口の3万2103人を数えたが、エネルギー革命の急速な進行により87年(昭和62年)7月に閉山となり、73年間の炭鉱の歴史に幕を閉じた。
ソースカツ丼は炭鉱全盛期、町内にあった「アカシ食堂」が提供していたメニューで、炭鉱マンたちから愛されていた町のソウルフード。しかし、食堂が閉店してからはおよそ20年の間、町から姿を消していた。しかし、上砂川町で長年愛されてきた味を復活させようと動き始めたのが、上砂川町地域おこし協力隊や上砂川岳温泉パンケの湯、町民有志が集まった町おこしプロジェクトのメンバー。アカシ食堂の関係者にレシピを教わり、町内のイベントで復活させたところ、開始から1時間半ほどで用意していた40食が完売。手応えを感じたメンバーは、その後もイベントやお祭りを中心に提供していたが、ソースカツ丼を目当てにイベントに訪れるファンも。そして「温泉のレストランでも食べたい」という要望が寄せられるようになり、2016年夏に上砂川岳温泉パンケの湯レストラン「パンケ」で期間限定ながら販売が開始され、いまは人気メニューとして君臨している。
シンプルなソースカツ丼だが、豚肉はサシが多く脂に甘みがあり、くせがなく、ジューシーなのが特徴の四元豚を使用。サクサクのころもに料理長のこだわりオリジナル甘口ソースが絶妙に合い、食欲をそそる一品に仕上がっている。施設の松田勇支配人代理は「かつての炭鉱マンたちを支えていた町の名物。今後も守っていきたい」と話している。
ソースカツ丼は炭鉱全盛期、町内にあった「アカシ食堂」が提供していたメニューで、炭鉱マンたちから愛されていた町のソウルフード。しかし、食堂が閉店してからはおよそ20年の間、町から姿を消していた。しかし、上砂川町で長年愛されてきた味を復活させようと動き始めたのが、上砂川町地域おこし協力隊や上砂川岳温泉パンケの湯、町民有志が集まった町おこしプロジェクトのメンバー。アカシ食堂の関係者にレシピを教わり、町内のイベントで復活させたところ、開始から1時間半ほどで用意していた40食が完売。手応えを感じたメンバーは、その後もイベントやお祭りを中心に提供していたが、ソースカツ丼を目当てにイベントに訪れるファンも。そして「温泉のレストランでも食べたい」という要望が寄せられるようになり、2016年夏に上砂川岳温泉パンケの湯レストラン「パンケ」で期間限定ながら販売が開始され、いまは人気メニューとして君臨している。
シンプルなソースカツ丼だが、豚肉はサシが多く脂に甘みがあり、くせがなく、ジューシーなのが特徴の四元豚を使用。サクサクのころもに料理長のこだわりオリジナル甘口ソースが絶妙に合い、食欲をそそる一品に仕上がっている。施設の松田勇支配人代理は「かつての炭鉱マンたちを支えていた町の名物。今後も守っていきたい」と話している。
「ソースカツ丼」を食べるなら
【上砂川】レストラン パンケ(上砂川岳温泉パンケの湯)
上砂川町字上砂川65番地
TEL 0125-62-2526
上砂川町字上砂川65番地
TEL 0125-62-2526