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第25回|グリーフケアとAI

 対話型の生成AI(人工知能)を使ったことはありますか。ChatGPTT(チャットジーピーティー)をはじめ、今やAIは私たちの生活に深く入り込み、私自身もコラムの構想を練る際、AIに相談してみることがあります。1年ほど前までは「とんちんかん」だった回答も、今では驚くほど説得力のある言葉が返ってくるようになりました。

 では、私たちのグリーフ、大切な人やもの環境などをうしなったことで心や身体に起こる様々な反応をAIはどのように受け止めてくれるのでしょうか。今、世界では亡くなった人をAIで再現する試みが広がっています。 例えば、故人が生前に書いた文章からその人らしい言い回しを学び「手紙」を届けてくれるサービスや、生前の音声から「声」を再現するもの、さらには動画で故人が語りかけてくるものまで登場しています。

 これらは、グリーフケアに役立つのでしょうか。 結論から言えば、その答えはまだ出ていません。AIで故人を再現する事業者を中心に大きな効果を期待する声がある一方で、実際にどのような心理的影響があるかは、まだ研究途上であり、十分に解明されているものではありません。

 死者をAIで再現すること自体も、肯定的な意見と否定的な意見の両方が聞こえます。少し古い話ですが2019年の紅白歌合戦でAI美空ひばりが歌ったことを覚えている人もいるでしょうか。あの時も美空ひばりが蘇ったようだと喜ぶ声や、死者への冒涜だと批判的な声など賛否両論がありました。現在の生成AIによる故人の再現も死者の尊厳の問題や、AIで蘇らせる(=再現する)ことでAIに過度に依存してしまうのではないかという懸念も指摘されています。

 現在は、多額の費用もかかり、反発も多い故人の再現AIを万人に勧められる状況ではないと思います。私自身も身近な人をAIにより再現することには強い抵抗感があります。それでも、伝えられなかった思いをAIに託すことで、心が軽くなる方がいるのも事実でしょう。急速に進化する技術の波の中で、私たち一人ひとりがそれぞれのグリーフとどのように付き合っていくのか、選択肢は増えているのを感じます。

第24回|グリーフの二重課程モデル

 私たちは喪失体験を経て、どのような過程を辿るのか、今回はグリーフの二重過程モデルをもとに考えてみたいと思います。二重過程モデルとは、喪失体験によるグリーフを段階的に解決していくのではなく、喪失に向き合う「喪の仕事」と、現実に向き合う「現実の仕事」を行ったり来たり繰り返していくと考える理論です。具体的に次のようなものが含まれます。

 1. 喪の仕事(喪失指向)
 亡くなった人のこと思い出したり、失ったことについて考えたり、涙を流したり。喪失に向き合っている時間です。 「あんなことがあった」「寂しくてたまらない」などの気持ちが起こったり、喪失のことを人に話したり、辛い思いを文字に綴ったりする時間などが含まれます。

 2. 現実の仕事(回復指向)
 仕事や家事に没頭したり、新しい趣味を始めたり、遺品の整理をしたり。現実に向き合っていく時間です。 「これからの生活をどうするか」と考えたり、新しい役割に適応しようとする作業を指します。

 私たちはともすれば喪失によるグリーフを抱えている「喪の仕事」の時間から、徐々に回復して「現実の仕事」に移っていくように考えがちですが、二重過程モデルの大切なことは、私たちはそのように一直線に「喪の仕事」から「現実の仕事」に向かい、グリーフから回復するのではないということです。「喪の仕事」と「現実の仕事」を行ったり来たりするのは、私たちは常に気持ちが揺らぎます。故人のことを考える時間と考えない時間の両方が大切なのです。
 グリーフには個人差もあります。仕事や家事が手につかなくて「喪の仕事」にずっといるという人もいれば、喪失の苦しみを忘れたくて、いつも以上に仕事に没頭する人もいるでしょう。行ったり来たりするスピードも頻度も人それぞれ異なります。それらは決しておかしなことではありません。急に悲しみに引き戻されて「喪の仕事」に入ることもあれば、時間をあけてから「現実の仕事」を進める人もいます。また、何年経っても何かの拍子に故人を思い出して「喪の仕事」に移ることもあります。揺らぐことを否定する必要はありません。

第23回|喪失による社会的な影響

 グリーフとは、大切な人やもの、環境などを喪失した時に起きる様々な反応をいいます。グリーフで現れる反応の中には、夜眠れないなどの身体的な影響、悲しみで何事も手につかなくなるような心理的な影響など、様々な反応、影響がありますが、今回は社会的な影響について考えてみたいと思います。

 たとえば、働いている配偶者を亡くして収入が減り、それまでと同じような生活ができなくなる場合があります。また、自分は車の運転ができないけど、家族が亡くなるまではその人が車で買い物に連れて行ってくれていた場合、移動手段が無くなって買い物に行くことが困難になる場合もあります。今の季節だと除雪などもそうでしょうか。それまでは亡くなった人が担っていた仕事が、亡くなることによって、残された家族の負担になることもあります。

 身近な人がそういった状況に置かれた時に、私たちはどのように対応したら良いでしょうか。まずはその人の話を、その人が話すままに聞くことが大切だと思います。それと同じように、実際に生じた困難、問題を解決するためのサポートを行なうことも大切なグリーフケアです。たとえば買い物に一緒に行ったり、直接、関わることができなくても、宅配サービスを紹介したりと、その人が必要なところに繋ぐこともグリーフケアになります。たとえば、除雪なども市町村によっては支援がありますが、そういった支援があることを知らないと利用を検討することもできません。あくまでも主体はグリーフを抱える本人ですから、支援の押し売りのようなことをするべきではありませんが、本人の言葉を大切に聞きながら、状況に応じて専門家や適切なサポートに繋ぐことも必要になると思います。

 次に、このような喪失による社会的な影響が、自分の身の上に起こったらと仮定して考えてみます。そうした時に、このことで困った時にはあの人に聞こう、あっちの問題ならば別のあの人に聞こうなどと、いざという時に助けを求めることができる相手を書き出してみるのも一つの方法です。日頃から困ったときのための情報を集めたり、詳しそうな人や頼りにできる人を探しておくのも良いでしょう。

第22回|言葉のヒント

大切な人を亡くしたり、大きな喪失を経験した人が身近にいる時、私たちはなんとか力になれないか、早く元気になって欲しいと願います。けれども良かれと思ってかけた言葉が、かえって相手を深く傷つけたり、孤立させてしまうことがあります。

「いつまでも泣いていたら亡くなった人が悲しむよ」とは、悲しんでいるその人のあり様を否定します。

「時間が解決してくれるよ」。先のことではなく、今の悲しみや辛さを聞いて欲しいのです。

「私にも似たような経験があるからわかるよ」。同じような経験があってもグリーフは一人ひとり異なります。似ていても同じとは限りません。

「また新しい出会いがあるさ」は、 亡くなった人との関係性を無視し、その人の存在や記憶を軽んじることにつながりかねません。

これらの言葉は励ましのつもりでも、相手にとっては自分の悲しみは理解されていないと孤独感を深めてしまう原因になるのです。

では、グリーフを抱える人にどのように向き合えばよいのでしょうか。求められていないならば、アドバイスをせずにグリーフを抱える人の声に耳を傾けることが大切です。自分の意見を披露するのではなく、話し手が話すままに聞くことです。言葉をさえぎったり、否定せずに、相槌を打ちながら、相手の言葉に耳を傾けましょう。聞く方法にリフレクションと呼ばれる技法があります。たとえば、相手が話していることを、オウム返しのように返すこと。「全然、疲れが取れないんだ」と言われたら、「全然、疲れが取れないんですね」とそのままに返す。話し手の声の大きさや、スピード、話の調子に合わせて聞き手も同じように反応を返すやり方もあります。話し手が安心して話せる場を作るためにこういった技法も効果があります。

話を聞いて何も言えなくなる時もあります。その時は、なんと言ったらいいかわからないけれど、心配していることを伝えるのも良いでしょう。言葉が見つからなくても支えにはなれます。言葉に詰まっても、無理に何かを言おうとする必要はありません。そばにいて、頷き、静かに相手の話に耳を傾ける。それこそが、グリーフを抱える人にとって大切な支援となります。

第21回|グリーフへの誤解 #2

 大切な人やもの、環境などを喪失した時におこる、様々な反応をグリーフといいます。前回に引き続き、グリーフやグリーフケアについて誤解されがちなことを考えてみたいと思います。

 喪失によってグリーフは大きくあらわれ、時間が経つにつれて、だんだんグリーフが小さくなっていく。そのように私たちは考えがちではないでしょうか。例をあげると、お連れ合いが亡くなって、亡くなった直後は悲しくていろんなことが手につかなくなる。けれども、1か月が経ち、数か月経ち、そして年数を経てだんだん悲しみが和らいでいく。悲しみは消えないけど、たまに思い出しながら日常生活を送っていく。

 もちろん、中にはこういった経過を辿る方もおられます。しかしながら、必ずしも全員がそうなるとは限りません。喪失から何か月か経っていてもグリーフが重い、しんどいという方もいれば、喪失体験があっても、そのことを強く悲しいとは思わない、無関心としてグリーフが現れることもあります。大切なことは、グリーフやその経過はひとりひとり異なるということです。

 自分が体験したように、他の人のグリーフも同じようになるとは限りません。いつまでも悲しんでは亡くなった人が安心できないと声をかけてしまったり、何年も経っているのに悲しい思いが消えないと苦しむことは、私たちが自分の脳裏に思い描いた「正しい」グリーフの経過から、ずれてしまっていることを気にしているのではないでしょうか。

 グリーフそのものは病気ではありません。グリーフは誰にでも起こり得る自然な反応です。グリーフが人それぞれ異なるということは、誰でも共通の「正しい」グリーフの経過というのは存在しないということです。全員が必ずしも一定の経過を辿るような正解はありません。時間が経てば楽になる、楽にならなければおかしいと思うならば、それはグリーフについての大きな誤解だと私は思います。

 時間が経てば悲しみや苦しみが和らぐことを俗に時薬(ときぐすり)と言います。もちろん時間の経過で楽になることもありますが、亡くなった日や、何かかのきっかけでまたグリーフが現れることもあります。そのことを無視してはいけません。

第20回|グリーフへの誤解 #1

 書きたいことがいっぱいあるのですが、浅学の身ではなかなか文章にできず、テーマ選びに難航しています。グリーフについて書かれた本を読んだり、インターネットで情報を集めたり、生成AIに聞いてみることもあります(文章は全て自分で書いています)。

 インターネット上の情報や生成AIの回答の中には、グリーフケアについて誤解されているのではないかと感じられるものも少なくありません。今回はそこに焦点をあてて、グリーフについてよく見られる誤解について考えてみたいと思います。

 グリーフとは死別について言うものであり、グリーフケアとは死別の悲しみを癒やすものであるという誤解。インターネットでグリーフケアについて調べると、グリーフが死別に限定されているものが多く見受けられます。パートナーや友人、家族などの大事な存在を喪うことは心身に大きな影響を与えうる喪失と言えるでしょう。死別による喪失はグリーフであると私も思います。

 しかしながら、繰り返し言っていますが、グリーフとは大切な人やもの、環境などを喪失した時に起きる様々な反応のことを指します。それは決して死別に限定されたものではなく、例えば、財布を落とすことで生まれるグリーフもありますし、引っ越しで見知らぬ土地に移ることで心身に反応が起きることもあるでしょう。身体が傷ついたり、病気によって健康を損なうこともグリーフと言えると思います。ついつい、死別というところに注目しがちですが、死別だけがグリーフというのは大きな間違いです。

 また、グリーフケア=癒やしというのも注意が必要だと私は思います。グリーフケアによって悲しみや辛さが和らいだり、癒やされたという人はいるでしょう。それは意義深いことだと思います。しかし、グリーフは悲しみだけではなく、喜びとして現れたり、心身の不調や過活動、なぜこうなったかなどの答えの無い問いかけの形で現れることもあります。死別の悲しみを癒やすというのは極めて限定的です。また、癒やしを求めない人もいます。そういった人のグリーフも大事にしたいと私自身は思います。グリーフケアは押し付けがましいものではありません。

第19回|亡き人への手紙

 大事な人やもの、環境などを喪失した時に起きる様々な反応をグリーフといいます。このコラムではグリーフについて知ることで、グリーフを付き合いやすくなることを目的として書いています。

 グリーフは時間の経過と共に軽くなるように考えられがちですが、必ずしもそうとは限りません。たとえば、喪失から時間を経て、少し気持ちが軽くなったように見えていても、ふとしたきっかけで、しんどいな、辛いなと思うこともあります。死別であれば、亡くなった日や、喪失した存在と思い入れのある日、たとえば誕生日や結婚記念日などにグリーフが重くなることがあると言われています。これを記念日反応といいます。また、先日、お連れ合いを亡くしてシングルファザーとなり、子どもを育てている人のお話を聞く機会があったのですが、その人は子どもの入学式や運動会などで、周りの家族を見ると悲しい気持ちが増したと話しておられました。

 そういった時に自分の中のグリーフと付き合っていく方法の一つに「亡くなった人や存在に手紙を書く」というものがあります。今の自分の気持ちや思っていること、また亡くなった人、かわいがったペット、大切な存在に伝えたいこと、聞いてほしいことを、そのまま文字に書いて言葉にしてください。手紙として整った文章でもよいですし、思いつくままに箇条書きにしても良いと思います。文字にすることが難しければ絵や他の表現方法を使っても良いでしょう。大切なことは自分の中にある思いを、外に向かって出してみることです。心の中にもやもやしていたものを、言葉や絵などにすることで、見えてくるものもあるでしょう。

 書いた手紙をどうするか。地域によっては「漂流ポスト」や「緑のポスト」といって亡き人への手紙を受け入れる場所もありますが、残念ながら空知では聞きません。最近では葬儀屋さんが類似のポストを設置している例もあります。インターネットでは、そらノート(https://soranote.jp)といったサービスも無償公開されています。うちのお寺でも来年あたり、お盆にあわせて8月中は手紙を受け付けるようなポストを設置してもよいなと、この原稿を書きながら考えています。

そらノート|https://soranote.jp

第18回|グリーフケアって難しいこと?

 グリーフとは大切な人やもの、環境などを喪失した時に起こる、さまざまな感情や反応、状態をあらわす言葉です。グリーフケアとは、これも多様な言い方をされる言葉ですが、私自身は「グリーフを大切にすること」と考えています。このコラムは、グリーフについて知り、グリーフと付き合いやすくすることを目的に書いています。

 先日、あるところで、「グリーフケアって難しいですよね」と言われたことがありました。どういった部分が難しいと感じるのか、それ以上聞くことはできませんでしたが、今でもその言葉が気にかかっています。

 たとえば、私自身も、グリーフを抱える人と接する時に、無神経なことを言ったり、好ましくない態度をとって、目の前の人を傷つけてしまわないかと心配になることがあります。また、グリーフやグリーフケアについて、少しずつ社会的な認知度が上がり、知る人が増えてきました。グリーフ、グリーフケアについて誤解していると感じることや、私が聞いてきたのとは違う考え方をされる人に出会ってきたこともあります。そういった部分でグリーフ、グリーフケアについての難しさを、私自身も全く感じないわけではありません。

 私たちは人生の中で多くの喪失体験を得てきました。小さな子どもであっても、祖父母などの身近な家族や、飼っていたペットを亡くした人もいます。死別に限らなければ喪失体験はもっと多いことでしょう。喪失と無関係に生きている人はいません。誰しもがグリーフを抱えながら生きています。

 グリーフケアという言葉を知らなくても、喪失体験を人に話したり、人から聞くこともあるでしょう。また、喪失によって困り事が起きた時、たとえば、お連れ合いが買い物の車を出していたり、除雪を行っていたけれども、できなくなった。そういった時に人に頼ったり、助けてもらったということもあるでしょう。これらも大切なグリーフケアです。

 グリーフケアを難しく感じる中には、なにか専門的な、技術的なものと考えているところもあるのではないでしょうか。そういった学びも大切です。けれども、グリーフやグリーフケアはもっと身近なところにあるのだと私は思います。

第17回|ペットロス

現代ではペットも大切な家族のひとりとして共に暮らしている方も少なくありません。愛するペットとの別れは大きな喪失体験です。我が家でも昨年の7月に飼っていた犬が亡くなりました。年齢はおよそ10歳。オスの柴犬でした。ほとんど父母が世話をしていたのですが、たまに一緒に遊んだり、散歩に行きました。けれども、数年前に私自身に子どもが生まれてからはつい後回しになり、犬の顔を見ても触れ合う時間は少なくなっていました。

そんなある日、その犬が急に亡くなりました。夜に体調を崩して翌朝に亡くなったようです。私が見た時には眠るような姿でもう冷たくなっていました。犬の遺体を焼く業者もあるようでしたが、東滝川のリサイクリーンに連れていきました。タオルに包み車に乗せて、真っ直ぐ行くのは忍びなかったので、一緒に歩いた散歩道をゆっくりまわりました。時折タオルの上から身体を撫でて、最近すっかり相手をしていなかったことを詫びながら向かいました。

飼い犬が亡くなったことで私の中には次のような反応が起こってきました。十分に接してこなかったという罪悪感。急な別れによる驚きや焦燥感。犬がいた場所に行くとまだそこにいる気がする現在感。またその日はちょうどグリーフ関係の予定があり、休もうかとも考えましたが、身近に起きているグリーフを大切にしたいと、やや無理をして出席しました。過活動のようなものもあったのかもしれません。

私は今回体験しませんでしたが、ペットロスによるグリーフは周囲の人から「たかがペットが亡くなったくらいで…」と喪失が軽く扱われてしまうこともあります(公認されないグリーフ)。他にもペットロスによるグリーフの特徴として、子どもにとっては初の死別体験となりうるということもあるようです。私の娘にとっても初めての家族との別れでした。犬の名前を呼びながら「いなくなっちゃったの」と戸惑いながら繰り返していました。

飼い犬のことを思い出すと今でも辛く悲しい気持ちは消えません。普段は忘れていても、ふっとしんどさを感じることもあります。けれどもこの痛みを通して私はグリーフを「ちゃあ」に教えてもらっています。

第16回|葬送儀礼とグリーフ

グリーフとは、大切なものや人、環境などを喪失したことでおきる様々な感情や反応、プロセスなどを言います。このようにグリーフは死別に限った話ではないのですが、現在の社会の中では、死別において語られることが多いように感じます。そこで今回は死別、特に葬送儀礼に注目して僧侶という立場から考えてみたいと思います。

うちのお寺でいうと、亡くなったという連絡を受けてから、まず枕経があります。それから、お通夜、葬儀、還骨法要。亡くなった日から数えて初七日、二七日、三七日…と七日毎に中陰の法要があり、七日七日=四九日の法事があります。亡くなった命日にあわせて毎月、月参りにうかがうこともあります。

これらは最近では簡略化されることも増えてきましたが、私自身はグリーフサポートの機会となりうる大切な場だと思います。中陰や月参りで、亡くなられた時の話を繰り返し聞くことも少なくありません。繰り返し語ることは、その人にとって喪失と付き合っていくための大事なプロセスとなっているのでしょう。亡くなった人に思いを寄せる場として機能してきたのだと思います。

グリーフによる影響として、喪失をきっかけに神仏への疑問や、終わりのないなぜという問いが起こることもあります。また、お骨をどうしたらいいか、納骨にはどういった形があるのか。それから、周囲から寄せられる、泣いていたら亡くなった人が迷うよとか、早く納骨しないとだめだよとの声で傷つくこともあります。こういった問題を共に考え、必要に応じて選択肢を提示し、それは迷信ですとはっきり言えるのは宗教者の仕事です。

これらはグリーフケアを専門的に学んだ人でなくても、安心して語れる相手として宗教者が担ってきた部分だと思います。もちろん宗教者だけが信頼できる聞き手ではありません。(その宗教者が信頼できない場合もありますが、今回は考えないでおこうと思います)出されたお茶をいただきながら、目の前の人の話を大切に聞く。それができる人の選択肢の中に宗教者はいます。お坊さんに話してもいいのだろうか、聞いてみてもいいのかと迷うかもしれませんが、私自身はぜひ話して欲しいと思っています。

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