ホーム » 記事カテゴリ別 » コラム » 第20回|グリーフへの誤解
グリーフとは、大切な人やものなどを喪失することから生まれる、その人なりの自然な反応や状態、プロセスをさす言葉です。
このコラムでは、グリーフについて知ることで、グリーフと付き合いやすくすることを目的として、共に学んでいきたいと思います。

第20回|グリーフへの誤解

Share on facebook
Facebook

第20回|グリーフへの誤解

 書きたいことがいっぱいあるのですが、浅学の身ではなかなか文章にできず、テーマ選びに難航しています。グリーフについて書かれた本を読んだり、インターネットで情報を集めたり、生成AIに聞いてみることもあります(文章は全て自分で書いています)。

 インターネット上の情報や生成AIの回答の中には、グリーフケアについて誤解されているのではないかと感じられるものも少なくありません。今回はそこに焦点をあてて、グリーフについてよく見られる誤解について考えてみたいと思います。

 グリーフとは死別について言うものであり、グリーフケアとは死別の悲しみを癒やすものであるという誤解。インターネットでグリーフケアについて調べると、グリーフが死別に限定されているものが多く見受けられます。パートナーや友人、家族などの大事な存在を喪うことは心身に大きな影響を与えうる喪失と言えるでしょう。死別による喪失はグリーフであると私も思います。

 しかしながら、繰り返し言っていますが、グリーフとは大切な人やもの、環境などを喪失した時に起きる様々な反応のことを指します。それは決して死別に限定されたものではなく、例えば、財布を落とすことで生まれるグリーフもありますし、引っ越しで見知らぬ土地に移ることで心身に反応が起きることもあるでしょう。身体が傷ついたり、病気によって健康を損なうこともグリーフと言えると思います。ついつい、死別というところに注目しがちですが、死別だけがグリーフというのは大きな間違いです。

 また、グリーフケア=癒やしというのも注意が必要だと私は思います。グリーフケアによって悲しみや辛さが和らいだり、癒やされたという人はいるでしょう。それは意義深いことだと思います。しかし、グリーフは悲しみだけではなく、喜びとして現れたり、心身の不調や過活動、なぜこうなったかなどの答えの無い問いかけの形で現れることもあります。死別の悲しみを癒やすというのは極めて限定的です。また、癒やしを求めない人もいます。そういった人のグリーフも大事にしたいと私自身は思います。グリーフケアは押し付けがましいものではありません。

この情報へのアクセスはメンバーに限定されています。ログインしてください。メンバー登録は下記リンクをクリックしてください。

既存ユーザのログイン
   
Profile

秋山 智

1984年生まれ、新十津川町光台寺(真宗大谷派)住職。葬儀などを通して、死別を繰り返すことで、グリーフについて関心を持つ。2016年にリヴオンが主催する「僧侶のためのグリーフケア連続講座」を受講。現在は僧侶の仲間と共に隔月で、地域緩和ケアセンターruyka(札幌市)にて「お別れを経験した、私たちのつどい」を開催し、喪失体験を語り合える場をつくっている。

これまでに配信したコラム

紙面を読む

最新記事

空知のニュースならプレス空知 | 地域・生活情報を届ける地方紙

https://presssorachi.co.jp

当サイトにおいて配信・掲載している文章のコピー、画像のダウンロード及び画像の転載を含む二次利用は一切禁止となっております。

SORACHISHIMBUNSHA inc. All rights reserved.
error: このページは右クリックできません