第16回|葬送儀礼とグリーフ
グリーフとは、大切なものや人、環境などを喪失したことでおきる様々な感情や反応、プロセスなどを言います。このようにグリーフは死別に限った話ではないのですが、現在の社会の中では、死別において語られることが多いように感じます。そこで今回は死別、特に葬送儀礼に注目して僧侶という立場から考えてみたいと思います。
うちのお寺でいうと、亡くなったという連絡を受けてから、まず枕経があります。それから、お通夜、葬儀、還骨法要。亡くなった日から数えて初七日、二七日、三七日…と七日毎に中陰の法要があり、七日七日=四九日の法事があります。亡くなった命日にあわせて毎月、月参りにうかがうこともあります。
これらは最近では簡略化されることも増えてきましたが、私自身はグリーフサポートの機会となりうる大切な場だと思います。中陰や月参りで、亡くなられた時の話を繰り返し聞くことも少なくありません。繰り返し語ることは、その人にとって喪失と付き合っていくための大事なプロセスとなっているのでしょう。亡くなった人に思いを寄せる場として機能してきたのだと思います。
グリーフによる影響として、喪失をきっかけに神仏への疑問や、終わりのないなぜという問いが起こることもあります。また、お骨をどうしたらいいか、納骨にはどういった形があるのか。それから、周囲から寄せられる、泣いていたら亡くなった人が迷うよとか、早く納骨しないとだめだよとの声で傷つくこともあります。こういった問題を共に考え、必要に応じて選択肢を提示し、それは迷信ですとはっきり言えるのは宗教者の仕事です。
これらはグリーフケアを専門的に学んだ人でなくても、安心して語れる相手として宗教者が担ってきた部分だと思います。もちろん宗教者だけが信頼できる聞き手ではありません。(その宗教者が信頼できない場合もありますが、今回は考えないでおこうと思います)出されたお茶をいただきながら、目の前の人の話を大切に聞く。それができる人の選択肢の中に宗教者はいます。お坊さんに話してもいいのだろうか、聞いてみてもいいのかと迷うかもしれませんが、私自身はぜひ話して欲しいと思っています。
