グリーフとは、大切な人やものなどを喪失することから生まれる、その人なりの自然な反応や状態、プロセスをさす言葉です。
このコラムでは、グリーフについて知ることで、グリーフと付き合いやすくすることを目的として、共に学んでいきたいと思います。

第29回|してあげるのではなく、共にいること。

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第29回|してあげるのではなく、共にいること。

グリーフケアという言葉が社会に認知され、少しずつ広がってきました。一方で、グリーフケアとは、どのようなものか、人によって僅かに意味が異なっているのを感じます。

時々見かけて、私が違和感を覚えるのが「グリーフケアをする」という表現です。それが間違いだと言うつもりはありません。ただ、私自身の考えで言えば、グリーフケアというのは一方的に私から誰かに向かって、してあげるものではないと思っています。

「Not doing, but being 」という言葉を知っていますか。この言葉は緩和医療の礎を築いたシシリー・ソンダースというイギリスの医師の言葉です。「何かをするのではなく、そこにいること」という意味になります。先日ある勉強会で、精神科の医師がこの言葉を紹介し、この考えはグリーフケアにおいても重要であると述べました。私自身もその考えに強く共感します。

半ば自戒のようなものですが、グリーフやグリーフケアについて学ぶと、ついグリーフで苦しんでいる人や、死別や喪失のまっただ中にいる人を助けてあげたくなります。そうした感情も全く無意味なものではないとは思いますが、グリーフの主導権はどこまでも、グリーフを抱えている本人が持つものです。

こうしたらいいのにと、つい分かったつもりで私たちは先回りしたくなります。ですが、本当に大切なことは、グリーフを抱える本人がどうしたいのかを丁寧に確認して、その人に何かをしてあげるのではなく、その人のそばにいること、そこから逃げ出さないことだと私は思います。泣いている人にかける言葉が見つからなくても、隣に一緒にいることで救われることもあります。

「何かをするのではない」と言っても、時には何かをする必要があることもあります。困りごとの解決のために専門家などに繋いだり、買い物や除雪の手伝いがグリーフケアになることもあります。ただ、そこで私の気持ちが満たされることがグリーフケアの目的ではありません。何もできなくても、そこにいることが必要なときもあります。何かをしてあげるのではなく、その場に共にいることにも大きな意味があるのです。

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Profile

秋山 智

1984年生まれ、新十津川町光台寺(真宗大谷派)住職。葬儀などを通して、死別を繰り返すことで、グリーフについて関心を持つ。2016年にリヴオンが主催する「僧侶のためのグリーフケア連続講座」を受講。現在は僧侶の仲間と共に隔月で、地域緩和ケアセンターruyka(札幌市)にて「お別れを経験した、私たちのつどい」を開催し、喪失体験を語り合える場をつくっている。

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