〈第11回〉あいまいな喪失
大切な人やもの、環境などを喪失した時に起こる様々な反応をグリーフといいます。この喪失について、「あいまいな喪失」という理論があります。提唱者のポーリン・ボスは「はっきりしないまま、解決することも、終結することもない喪失」を「あいまいな喪失」と呼びました。あいまいな喪失は、2つのタイプに分けて考えられています。
1つは身体的には存在しないが、心理的には存在している状況。例えば災害などで死の状態が明確でなくて、その人にはっきりとさよならを告げることがないままに別れてしまった。この場に故人はもういないけれども、気持ちの上ではまだ生きている。こういったものを「さよならのない別れ」といいます。
新型コロナが流行して数年間、遺体と対面もできずに火葬されたり、お骨になってから葬儀を勤めることがありました。顔を見ることもできずに別れて、痛みを感じる人たちを見ました。これも、あいまいな喪失です。
もう1つは、身体的には存在しているけれども、心理的には存在していない状況です。認知症などの影響で、本人はその場にいるけれども、以前のような関係を続けることが難しい。あるいは家族にとっては別の存在のようになってしまった。これを「別れのないさよなら」といいます。
このタイプのあいまいな喪失は、その人やものなどは存在していますから、周囲や自分自身にとって、なかなか喪失と認められずに、グリーフと認識されづらい場合があります。変わったことを認められなくて、以前のような関係を無理に保ち続けようとすることは大きな苦痛をもたらすこともあります。自分の気持ちを閉じ込めずに誰かに話したり、自分を大事にする時間をもつことも良い方法です。
また、2つのタイプが混在する場合もあります。今回、あいまいな喪失をとりあげたのは、まずは、あいまいな喪失について知っておいて欲しいからです。グリーフと認識することで変化していくものもあります。また、あいまいな喪失を抱える人と接する時には、白黒がはっきりするように、決着をつけようとすることはお勧めできません。あいまいさを消すのではなく、あいまいなままに聞くことも大切です。